イムス富士見総合病院 特任副院長 脳血管内治療科 主任部長
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本質を体得した脳血管内治療のエキスパートが見据える先
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一つずつ積み重ねた経験と実績が、新たな局面に立ち向かうエネルギーとなる
厚地脳神経外科病院
厚地 正道 先生
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vol.1
「周囲がやらないなら自分でやるしかない」全てが医師の仕事だと身をもって知った
東京と鹿児島で、脳神経外科専門病院の理事長として日々忙しくしている厚地正道先生。脳、脊髄疾患の治療だけでなく、リハビリテーションや介護など、さまざまな医療の視点を通して・・・詳しく見る -
vol.2
鹿児島に戻り、周囲の圧力に耐えながら父と共に最先端の治療に尽力
東京から鹿児島の実家に戻った厚地先生。鹿児島の病院は周囲からの圧力にさらされ、常にバッシングを受けてきたといいます。その中で病院が生き残っていくため・・・詳しく見る -
vol.3
新たなクリニックを東京に作り、自律神経失調症の診断・治療に取り組む
ある先生との交流がきっかけで、東京に新たなクリニックを開業することになる厚地先生。そこでは自律神経失調症の診断・治療をコンセプトに、それまで・・・詳しく見る
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経鼻内視鏡下垂体手術のパイオニアが考える、脳神経外科医のキャリア
日本赤十字社愛知医療センター 名古屋第二病院 神経内視鏡センター
永谷 哲也 先生
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vol.1
日本赤十字社愛知医療センター 名古屋第二病院 神経内視鏡センター長の永谷哲也先生は…詳しく見る -
vol.2
名古屋大学脳神経外科で神経内視鏡と出会った永谷先生は、その道を究めることをキャリアの中心に据えます…詳しく見る -
vol.3
自由で緩やかなグループを束ね、神経内視鏡領域全体の発展を促す
経鼻内視鏡下垂体手術の分野を確立し、臨床を究めるべく現在も日々患者さんと向き合っていらっしゃる永谷先生…詳しく見る
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与えられた使命に、変化を恐れず柔軟に自分を対応させていく
九州大学大学院医学研究院 脳神経外科学分野
吉本 幸司 先生
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vol.1
教員一家に生まれ育ち、ふとしたきっかけで脳外科医を志すことに
歴史ある九州大学脳神経外科の教授として、お忙しい日々を送っていらっしゃる吉本幸司先生。Vol.1では…詳しく見る -
vol.2
脳外科医は、ときとして患者の人生を背負わなければならないときがある
脳外科医は、患者さんの人生そのものを考えないといけない場面に出くわすことがあるとお話しされる吉本先生…詳しく見る -
vol.3
人生のターニングポイントで多くの人と出会い、進むべき道へのアドバイスを受けてきた吉本先生…詳しく見る
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脳神経外科医としての知見と職人の技術で人と向き合う
獨協医科大学病院 脳神経外科
阿久津 博義 先生
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決して王道ではないキャリアを経て教授へ
旭川医科大学 脳神経外科学講座
木下 学 先生
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新任教授の喜・怒・哀・楽
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vol.01
2021年に開設された「INTEGRA ONLINE」の1周年を記念して、「新任教授の喜・怒・哀・楽」と題した座談会……詳しく見る -
vol.02
2021年に開設された「INTEGRA ONLINE」の1周年を記念して、「新任教授の喜・怒・哀・楽」と題して行われた座談会……詳しく見る -
vol.03
2021年に開設された「INTEGRA ONLINE」の1周年を記念して、「新任教授の喜・怒・哀・楽」と題した座談会の3回目は……詳しく見る -
vol.04
2021年に開設された「INTEGRA ONLINE」の1周年を記念して、「新任教授の喜・怒・哀・楽」と題した座談会の最終回は……詳しく見る
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チャンスを生かし、今いる場所で最善を尽くす
水戸ブレインハートセンター
畑山 徹 先生
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「神の手」に師事し、ひたすら臨床と向き合って築いた「自信」
旭川赤十字病院 脳神経外科
瀧澤 克己 先生
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vol.1
偶然がもたらした脳神経外科への入局と「神の手」上山博康氏との縁
あまり高尚な理由や経緯があったわけではありません。むしろ、「偶然」に影響された部分が大きいかもしれません。学生……詳しく見る -
vol.2
最初のきっかけは、2012年10月に届いた、加藤庸子先生(藤田医科大学ばんたね病院脳神経外科教授)からの1通のメールでした。加藤先生は、世界脳神経外科連盟で……詳しく見る -
vol.3
「やりたいこと」を見つけ、それを究める、その繰り返しが自信を持つ医師を育成する
非常に難しい質問ですが、私自身は医師という職業がとても楽しい職業だと思っていますので、仕事を楽しんでほしい……詳しく見る
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LPシャント術の確立と普及に40年以上取り組み続けて
東京共済病院 脳神経外科
桑名 信匡 先生
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vol.1
正常圧水頭症に対するLPシャント術の開発に着手したきっかけとは
私の出身大学である東京医科歯科大学に在学中の1967年、医学部5年生になったときに脳神経外科が設立されたことがきっかけの一つです。当時、日本では脳神経外科というと新しい診療科で……詳しく見る -
vol.2
術式改良を重ねたLPシャント術はiNPHに対する標準治療の位置づけへ
術式開発に着手して1年が経った1974年、ついにLPシャント術を臨床使用する機会が訪れました。二次性正常圧水頭症患者さんの脊髄クモ膜下腔に、硬膜外麻酔用の穿刺針と……詳しく見る -
vol.3
サッカーを通じ組織や立場の垣根を越えて広がった交流が仕事の支えに
私が脳神経外科医として、臨床・研究両面で結果を出すことができたのは、ご指導くださった先達の先生方や、切磋琢磨してきた同僚・同年代の先生方をはじめ、多くの方々の協力やサポートに恵まれ……詳しく見る -
vol.4
LPシャント術の手技については、Vol.02で述べたように術式開発に取り組んでいた初期から、国内外の学会で映像を公開するなどして自ら活発に報告していました(写真)。あるとき、当時の福島県立医科...詳しく見る
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脳神経外科医としての生き方を探し求めて
横浜市立大学 大学院医学研究科 脳神経外科学
山本 哲哉 先生
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vol.1
熟練術者の一挙手一投足を体に染み込ませたことで、その視野が宿った
私が幼かった頃、自宅で祖父を介護していた母から「おじいちゃんはね、私たちが結婚式を終えて新婚旅行に出かける間際に脳出血を起こして倒れてしまって……詳しく見る -
vol.2
吉田兼好のこの文章は評論家の小林秀雄さんの作品『無常という事』で取り上げられていますが、兼好の原文も評論もともに難解です。一見すると「卓越した仏師にとって……詳しく見る -
vol.3
指導方法については現在も模索中で、「これだ」という答はまだ見つかっていません。ただ、指導者は「このレベルの人には何を教えるべきか」を把握している必要があり、あら……詳しく見る
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脳腫瘍に対する覚醒下手術に私が患者と共に挑戦し続ける理由
東京女子医科大学病院 脳神経外科
丸山 隆志 先生